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子猫殺しタヒチの地獄

前回のブログに対して、友人のRAVENから意見が来た。

つくづく同感。ほんと墓に持っていけばよかったのに…くうためのネタにしてるところが痛い。

本当に哀しみを引き受けるならせめて文字通り喰うべきだったんじゃないかと思う。自然のさだめと命を大切にしたいと言うならば。この星はそうやって命を循環させてきたんだし
さらに痛かったのはあの記事に対する感情的な書き込み。
おいらは改めてネットという自分のことばに下調べも責任も伴わないメディアの歪さを痛感した。覆面でかきこんでる本人は水洗便所感覚なんだろうけど汲み取り不能だよなぁ…ネットって

他のものを愛玩扱いすること自体歪で不妊の強制もその延長にある その歪さをきちんと受け止めてる人ならば
安易な批判や猫ちゃん可哀相~みたいな単純で歪な発言もまた控えてるんだなと色んな痛い書き込みを見てシミジミ思っちゃった

やはり「家畜人ヤプー」は教科書に載せるべきなのかも(笑)
あ 不用意な煽りになってたらごめん
サクッとデリってくださいまし




>本当に哀しみを引き受けるなら、
>せめて文字通り喰うべきだったんじゃないかと思う。


うわー、ドキッとした!

それいいね!

奇行として売り物にするなら、
ある意味そのレベルでないとなぁ。
でも、それが実際にできるのは、
現代作家では柳美里ぐらいかとも思うけど。



>さらに痛かったのはあの記事に対する感情的な書き込み。
>他のものを愛玩扱いすること自体歪で、
>不妊の強制もその延長にある。
>その歪さをきちんと受け止めてる人ならば、
>安易な批判や猫ちゃん可哀相~みたいな、
>単純で歪な発言もまた控えてるんだな、
>と色んな痛い書き込みを見てシミジミ思っちゃった。


そうなのよ。

この行為に反発する気持ちはあっても、
それは単純に「猫ちゃん、かわいそう」だからではない、
ということを言いたかったわけで、
こういう日記になったわけです。



俺も猫は飼っているわけで、
猫飼いとしてのモラルというのは自分自身にもあるけれど、
なんつーかソレを押し付けても仕方がないな、と。

世界中の可愛そうな猫を、全部面倒見てやる覚悟がなければ、
逆に、他所の飼い主の文句なんか言ったところで、

「アタシってなんて優しくていい人!」

みたいな、自画自賛でしかなかったりするんだよね。

所詮は、猫なわけで。



実は、我が家の猫がひとり、癌になってしまって、
それがかなり悪性なわけです。

一応患部は切除したけれど、
病理の結果は、超悪性という診断で、
既に転移の気配もあったりして、
ニントモカントモニンニンなわけですよ。



でも、うちもまず人間様が食べていかなけりゃならんわけで、
放射線治療も抗がん剤投与も、
やってやりたい気もするが、とても予算が追いつかんのが現状。

「プロポリスでもあげよっか。アガリスクは高すぎるし」
「でも、酸っぱくて食べたがらないよ。猫にはソレも苦痛」

みたいなわけで、そこらへんの取捨選択は、
動物飼ってりゃ、多かれ少なかれあるわけです。



それが彼女においては「避妊」か「子猫殺し」か、
というだけの話で、人間の子ども捨てる親だっているんだから、
猫捨てるやつがいたって、まぁ、そんなもんだろ、
って話なんです。

子猫殺すのは別に大したことじゃない、って言ってるわけではないですよ。

でも、北朝鮮では人が飢えて死んでるし、
日本でだって人間が監禁されたり、レイプされたりしてるんです。

悲しいけど、そういうことで、いちいちヒートアップできるほど、
僕たちは王侯貴族じゃない。

暇じゃない。

怒りは感じても、その怒りを面に表す責任が持てないんだ。



でも、だからこそ、
「子猫殺し」のような行為を、さも衝撃的に、エッセイで書いてみせて、
自分のオマンマの種にしようってあたりが、
直木賞作家にしては、あまりに無配慮で浅薄であざといし、
それに乗せられる猫バカたちも、一体どうなのよ?
といわざるをえないんですよね。

北方領土で、日本人が撃ち殺されてるこの時期に!!!



あと、今回最も罪深い人間は、もしかしたら、
この掲載に許可を出した日経新聞及びその編集者ですよ。

こんな民衆を煽りたいだけの、
内容のない文章の掲載にGOを出したのは、偏に、

「直木賞作家の原稿にケチをつけるわけにはいかん」

という新聞の編集に携わるものとしてあってはならない、
弱腰な編集態度だと思うんですよね。



坂東眞砂子氏が、

「猫が嫌がるから、避妊はしない。
 雌猫は雌猫としての性を全うするがいい」

と言っているのと同様に、

「先生が嫌がるから、否認しない。
 作家は作家としての生を全うするがいい」

と言っている、二重構造なんですな。




ま、こんな編集が担当なら、作家も作家だよな、
という部分で、やっぱどんなに偉い先生でも、
書いたまま載せればいいというなら、
編集そのものの存在が必要ないじゃないの、
という世界じゃないですか。



ということになるなら、逆に、
猫にとっての飼い主としての坂東眞砂子は、
必要ない、ということを示しているのも同然なわけで。



なんともかんとも、無意味なひと幕でござんしたなぁ……。
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by scafloc | 2006-08-24 10:30 | ビブリオ

子猫殺し

「子猫殺し」
           坂東眞砂子

 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生まれ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぽうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がごろごろしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、色々と考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは、野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛リのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している、猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。
 子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから杜会的責任として、育てられない子猫は、最初から産まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
 そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、杜会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
(作家)

8月18日(金)付 日本経済新聞夕刊





子猫殺しのようなエキセントリックな行為をすること自体が、

「作家らしい考え方と行動である」

と、坂東眞砂子さんは思ってしまったのでしょう。

つまり、最終的にこのような不幸な結末が
待っていることをあらかじめ予想しつつも、
わざわざタヒチで猫を飼ってみた、
ということです。

「常に人一倍、他人より異色でいたい」みたいな感じですかね。

今回の内容は、
「異色でいたい」というより「異色でイタイ(痛い)」話ですが。



また、作家という人種は、
さも偉そうなことをいうわりには、
人生経験そのものはあまり豊富ではなかったりするので、
本質的な部分では意外と気が弱いというか、
押しが弱いというか。
(ワガママは得意なようですが……)

今回の話も、それなりに悲壮感を漂わせて、
雰囲気ありげに書いていますが、

「ネコタンにとってイヤなことをすると、
 ネコタンに嫌われるかもしれないから、
 そういうことはしたくないの」
 (避妊という選択肢を取らない理由)

「産後すぐでグッタリのネコタンなら、
 前後不覚だから、そのうちに、
 さっさと裏庭の崖に、子猫を捨ててきちゃうの」
 (子猫殺しの動機)


こういう心理が本音でしょう。

うーん、かなり当たっているのでは!?



なんともお粗末な話です。
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by scafloc | 2006-08-23 04:05

ギャル社長の焼けた肌をどう見ればいいのか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060807-00000021-flix-ent.view-000


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ファッションの本質
 衣装はもともと人間そのもの、もしくは人間と一体のものであるが、ファッションは個人的意思表示である以前に、フックスE. Fuchsがいうように「主調となる世界の概念の表現」、つまり社会の徴表であり、記号である。この個人と社会の矛盾と対立のなかに、ファッションの本質が潜んでいる。個人は自己を主張し、変化や新しさへの勇気を好む半面、慣習に従い、それを模倣することによって社会から逸脱することを避け、社会に順応しようとする。(日本大百科全書)



このトラバ元に登場するギャル社長こと、藤田“sifow”志穂氏。

彼女の主張を要約すると、
「ギャルはビッチではない」
ということだ。

「ギャルだってちゃんと仕事もできるし、企業だってできる」
「ファッションで、人を差別するのは間違っている」
「ギャルと呼ばれる女性の地位を向上したい」

なるほど、虐げられた階層である“ギャル”
の立場を改革しようという気持ちはよくわかるし、
いかにもマスコミが喜びそうな、
わかりやすい売り文句に満ちた主張だ。



僕自身も、まぁ、「よくできたギャル」
みたいなものにはすこぶる弱くて、
クラッシィやキャンキャン、JJ以外にも、
実はeggやRanzukiなんかを、
今でもチョコチョコ読んでいたりする。
(立ち読みで……)

もちろん、この藤田志穂嬢の著作物も目を通しているし、
この一見不可解な存在をなんとか理解しようと、
それなりにリサーチしたこともある。



でも、結局いまだに理解できない。



引用の通り、ファッションとは
「主調となる世界の概念の表現」である。

仕事がきちんとできたり、まじめだったり、
経済活動における優れたタレントがあったとして、

そういった社会活動に有益な結果を残すことと、
「ギャル」と言われるファッションを纏いつづけることと、

一体なんの整合性があるのだろうか?



彼女がギャルファッションを着ることと、
金剛地武志氏がエアギターを奏でるときに、
真面目なサラリーマンのスーツ姿でいることと、
一体何の違いがあるのだろうか?

金剛地氏は別にかまわない。

エアギターは趣味だからだ。

もしくはあれだ。
「束縛」から「開放」にいたるプロセスを
エアギターで表現しようとしたときの、
「束縛」のメタファーがスーツだ。
(当然「開放」がエアギター)

つまり小道具なのだ。



でも、ギャル社長における
「ギャルファッション」が「小道具」であったなら、
「ギャルの地位向上」を目指す藤田志穂氏の主張は、
矛盾をきたすことになる。

藤田氏の主張の第一義は、
「社長」ではなく「ギャル」であることだからだ。

むしろ「社長」という肩書きこそが小道具でなければならない。



「社長をやっていようが、
 プランナーだろうがアドバイザーだろうが、
 そうやって大人の経済活動の中で、
 悠々と泳ぎ回って見せているけど、
 あたしゃ元からギャルでしかなくて、
 これからもずっとギャルなのよ。
 ギャルとしてしか生きられないの!」



これは、例えるなら、
「スケ番まで張ったこの麻宮サキが、
 なんの因果かマッポの手先」
という風情である。

それなら趣がある。

刑事だけど、根っこの根ではしょせんスケ番。

だから、悪党には、手錠をかけず、ヨーヨー食らわすぜ。



彼女の生き方が、そういう方向に進んでいくなら、
「あらまぁ、なんてカッコイイ」
と思うのだが、どうやらそういう感じでもない。



彼女がメディアに謳うのは、
「社長としての自分」ばかり。

たまたま「ギャル」であっただけで、
これが「ゴスロリ」でも「アニコス」でも、
あまり意味は変わらない気がする。



なぜ、肌を黒くするのか。

なぜ、髪の毛が茶色いのか?

なぜ、魅惑的な露出を強調した服を着るのか?



その本質をもって「ギャル」である、
という主張を素通りさせながら、
ただ「仕事ができるいい女でしょ」
という表現のアウトプットばかりするのであれば、
彼女はいつまでたっても、時代の徒花でしかない。



そろそろ彼女の、
「ひとりのギャル」としての主張を聞きたい。



是非、大声で叫んで欲しい。



それがある意味、ギャルらしいインモラルなもので構わない。

特異なファッションとは、
むしろ社会から隔絶されたいがために、
存在しているもののはずだからだ。

むしろ、そうであったほうが、
彼女の非凡を世に知らしめることになると思うのだが……。



「世間における地位」を向上したい人が、
そこまでパンキッシュになれるのか?



でも、「ギャル社長」というからには、
それぐらいアナーキーであったほうが、
カッコイイと思うのは、ワシだけか???




で、結局、このギャル社長の焼けた肌を、
あたしたちゃ、どういう視線で見ればいいのだろうか?



羨望か?

扇情か?
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by scafloc | 2006-08-08 16:14 | ワールド

カマタ 秋田弁で言うとカメダ

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ひょっとしたら、劇的なKOで勝つよりも、
微妙な判定で負けるよりも、
スッテコロリンと倒されるよりも、

今回のように、
「疑惑の世界王者」
となることが、

世間で一番注目を浴びる上での、
最良の選択だったのかもしれない。




そう考えれば、亀田一家のブレーンの書いたブックは、
宇宙で一番的を得ていたかことになる。

と、感心すらする。



だとすれば、今、日本で一番の千両役者は、

萩本欽一と、亀田興毅の二人、

ということになるのかもしれないねw。
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by scafloc | 2006-08-04 18:30 | ワールド

記憶売ります

昨日下北沢で、久々聖さんと飲んだ。

いやー、ファンタジーから始まり、
時代劇、特撮、アイドルから、シモの話まで、
さまざま語り合う。

「やっぱ年取ってくると、
 ポリネシアンセックスがいいよな」

みたいなことまで(笑)。



そのなかで、僕が昔から話してる、
「記憶サービス」の話をする。

要は、催眠術と音声、光、映像を使って、

「“好きな体験”を売る」

という商売の話をした。

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海外旅行はもちろん、宇宙旅行、時間旅行も思いのまま。

映画や小説の主人公になるのも、思いのまま、

というそういう商売。



映画『トータルリコール』や漫画『コブラ』で出てきた、
いわゆる「記憶売ります」的ビジネスだ。



RPG好きで、ファンタジー好きの自分は、
ぜひ実現化したい商売なのだが、
聖さん的には「NO」だという。



「しょせん本物じゃないじゃん」



前に、カメラマン・マッツにこの話をしたときも、
同じことを言われた。



「しょせん本物じゃないじゃん」



いや、確かにそうだけど、そんなこといったら、
どんな映画も小説も漫画も、

「しょせん本物じゃないじゃん」

ということになってしまう。



僕は、この記憶サービスは、
「代替体験」「本物が味わえないから偽者で」
ということではなく、

映画でも小説でも漫画でも今までのゲームでもない、
新しいエンターテインメントのひとつとして、
生み出したいと思っているのだが。



だめかなぁ?



もうちゃんとしたビジネスモデルは頭の中で完成しているので、
誰かお金が余っていて、面白い新事業をしたい人、
協力してもらえないですかね?



きっと、面白いですよ。
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by scafloc | 2006-08-03 12:08 | ワールド

サバンナにこぼれた血の色は…

ライオンの牝は、
シマウマの雄には目もくれない。

でも、シマウマは、
いつでもライオンが気になるのだ。

食い殺されたくないからじゃない。

恋してるからだ。

いや、むしろ、
いっそ食い殺されたいかもしれない。

愛しいライオンに食い殺されて、
自分の真っ赤なハラワタが、
サバンナの大地に引きずりだされて、
吹き抜ける風と、
大型猫科動物特有の、
ヤスリのようにざらつく舌の感触を、
肋骨の裏側で直接感じながら、
冷たくなっていく身体で、
シマウマはゆっくりと悶えるのだ。



悦びで!
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by scafloc | 2006-08-02 01:00 | ラブ

誰も寝てはならぬ。


打ち合わせの帰り道、渋谷を通ったので、
久しぶりにガンダムカードビルダーを、
2クレジットだけ遊ぶ。



たまには、そんなに遅くならずに帰ろうと、
カミサンにカエルコール。

ふと、立ち止まったスクランブル交差点。

巨大ビジョンから鳴り響くメロディは、
『誰も寝てはならぬ』



ふと、目を落とすと、
そこには、市井ではなかなか見られぬほど、
整った(つまりキャバじゃなくタレントの)
レベルでの可愛い女子が、
隣りに佇む、少し異常なほど背の低い男子と、
楽しそうに談笑していた。



その男子、

「ん? どこかで見た顔…。知り合い?」



知り合いではなかった。



なべやかん氏であった。






さすが軍団。

さすが七光り。



お笑いブームとはいえ、
滅多にテレビでは見ないやかん氏だが、
芸人パワーは健在だ。



最近、「若い頃、よしもとの養成所でもいけば、
もう少し楽に撃墜数を増やせたろうに」と、
夜な夜な歯がみする僕にとって、

「芸人」+「七光り」

を兼ね備えたやかん氏は、
三田佳子次男やヒルトン姉妹と並ぶ憧れの存在。



美女をはべらかすやかん氏に、
数瞬憧れのまなざしを送る僕。





彼の芸名の由来は、
わざわざ替え玉してまで受けた大学の学部が、
夜間部だったことによる。
(お湯をわかすヤカンではない)



奇しくも替え玉が発覚して、
彼の入学は取り消されたが、
バレていなければ学び舎を共にした学友。



しかし、学び舎を去った今でも、
夜の勉強を怠らぬ彼のその姿は、
ある意味称賛に値する。



その彼の生き様を称えるかのごとく、

渋谷の夜には、

『誰も寝てはならぬ』

が、いつまでも木霊していた。





女子を巡る旅に終わりなどない。



その美しい夜に、

『誰も寝てはならぬ』



それは、幻ではない。
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by scafloc | 2006-08-01 20:39 | ナイトライフ